自分探し?
「一人旅に出て、自分探しをしてくるよ」なぁんてキザな言葉を残して1週間位あてのない旅でもしてみたいなぁと思いますが、いろんな意味でムリ。
こういうパターンでしばしば使われる「自分探し」とか「本当の自分を見つける」みたいな言葉。極論ですが、自分なんてそもそもないんじゃないかと最近思ってるんですよ。
デカルトの「我思う故に我あり」じゃないですが、自分のことを考えるから、自分って存在を気にしちゃうわけで、もともと「自分」なんてものは己の脳みそが作ってるだけですからね。自分がこう、と思ったら、それが自分なんですよ。だから、ウダウダ悩む必要はない気がしてるんですよね。その時々、自分なんてものは変わっちゃうんだ。
あることが起きて、それをどう考えるかだけのことで、実際は「そのことが起きてるだけ」なんですからね。気にしなければすべてスルーですよ。
お釈迦様はこの世は苦と言っています。だからね、苦から逃れるには考えなけりゃいいんです。簡単です。考えないってことには訓練が必要ですからね、それが座禅なのかなぁなんて思ってます。無我の境地にたどり着きたいですなぁ。
他人からどう思われようが、すべてのことは少しずつですけど、時が解決してくれます。つまり、忘れていくってことですよ。人間の一番素晴らしいことは忘却できることですからね。
あ、昨今叫ばれている「戦争の悲劇・大罪」といったものは、人類として忘れてはいけないことで、そういうのとは別ですからね。今書いているのは、あくまで自分のことですよ。
だから、考えても考えても答えが出ないようなことは、もともと答えがないんですよ。それを考えている脳みそしかないんですよ。だから、人生に悩んで自分探しをしたって、それは脳みそが作り出しているバーチャルリアリティですからね。そこんとこ、忘れないように。
気楽にいきましょうよ。笑う門には福来るですよ。ホント、そう思うな。
って、これは自分に言い聞かせてるんですけどね(^_^;)

