名刺
社会人であれば、大概は持っている名刺。
そして、サラリーマンで様々な人に会う私のような人は、他人の名刺を売るほど持っている。
一昔まえまでは、名刺ホルダーとかにそのまんま入れていたわけであるが、電子データがすべてを管理するような現代社会、名刺もデータ管理している人は日増しに多くなっていることだろう。かくいう私もその例に違わない。
優秀な名刺読み取り装置もあり、それを駆使して名刺ホルダー時代とは比べ物にならぬほど、容易にそれが整理整頓できるのだ。読み取るだけで、その人の名前や電話番号、メールアドレスなどが自動的に認識され、文字データとして保存される。iPhoneなどのスマホにもそれに特化したアプリが多数存在し、パソコンなんぞ使わぬとも管理できるのだ。
そうした名刺管理事情の中で、最近ちょっと困ったことが発生している。
ミュージシャンのようなアーティスト系の人は、結構凝った名刺を作る。それが困る。
変にデザインに凝っていると、電子データとしてすぐ文字を認識せず、ものすごく中途半端に間違えた文字として認識されてしまうのだ。
であるから、チマチマとデータを入力し直すようになる。特にアーティストは、なんだかプラ板みたいな透明なものに印刷していることがある。気合いが入っているのはわかるし1枚単価が高そうな名刺だが、こうなるともう、お手上げだ。
私は、この手の名刺をひどく嫌う。面倒くさいのだ。これなら、メモ用紙で連絡先をもらったほうがいい。
そんなわけで、この間いただいた女性アーティストの透明な名刺は、私のデータに蓄積されることもなく、今、リリー・フランキーが書いたものすごく下世話な、それも品のないイラスト満載の単行本のしおりに成り下がっている。
さっき、その名刺がチ◯ポコの絵に重なっているのを見て、複雑な心境になった。かわいそうに。
だから、私は声を大にして言いたい。
名刺は凝らないほうがその役目を全うするのだ、ということを。

