オヤジが死んで何年になるのかな。
去年3回忌をやったってことは、もう3年か。なんで死んで2年目で3回忌やるんだろ。
調べたことあるけど、忘れた。あ、死んだときが1と数えるからだったからかな。
自分の部屋には、袋に入った1000円札が壁に貼ってある。
財布の中身がさみしくなったときもそうだが、いやなことがあったとき、体の調子が悪いとき、それを見るとちょっと勇気みたいなものがわいてくる。
オヤジが死んだのが11月6日だから、ちょうど3年前の今頃だ。俺は仕事帰りにオヤジの見舞いをするのが日課になっていた。結婚してから、正月くらいしか会わなくなっていたのに、死ぬ前の数ヶ月は毎日会っていた。なるべく面会時間が終了する前に仕事を切り上げて、「どうよ、調子は」と話しかけながら病室に入るのが、日課になっていた。
何を話すわけでもなく病室にいっしょにいて、おふくろが昼に届けたのであろう新聞や雑誌を読んだり、テレビをなんとなく2人で見たり。
でも、その数ヶ月の何気ない日々が、今は痛烈に思い出として脳裏に焼き付いている。子どもの頃、とてもたくましくてかっこよくて、俺の自慢だったあの頃のオヤジと、死ぬ直前の骨と皮だけのオヤジ。両極端のその姿だけ、脳裏に残ってるといってもいいくらいだ。
ある日、「寝てばかりだと疲れる。座りたい。肩を揉んでくれ」と言ったオヤジをベッドから起こして、骨と皮だけになったその体を支えながら肩を揉んでいたとき、涙が出るのを必死でこらえた。しっかり支えないとすぐに倒れてしまうから、抱きかかえるようにして、肩を揉んだ。不憫なほど、か細くなってしまったその体を思ったのもそうだが、それよりもこんなに近くにオヤジを感じたのは何十年ぶりだろうって思ったら、やるせない気持ちになった。
幼い頃にかいだことのある、お父さんの匂いがした。
面会時間が終了間近になり、じゃぁ、帰るよと病室を出ようとする俺に「おい、ちょっと待て。さっきのお礼だ。入院してると金を使わないから、あんまりないけどよ、なんか食え」と言いながら、1000円札を1枚、くれた。そんなもんいらないよ、だいたい40を超えた男に1000円はねぇだろう、と喉から出かかったが、これが最後になるかもしれないと思ってしまい、ありがとう、牛丼でも食って帰るわ、と受け取った。
結局、それがオヤジからもらった最後のお小遣いだった。
当然、使えるわけもなく、今、お守りのように自分の部屋にある。
額なんてどうでもいいお小遣いなんて、そうあるもんじゃない。
なによりも価値のある1000円札だ。
ありがとうって、心から思うよ。本当だよ。