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カテゴリ:文化・芸術( 3 )

2006年に、仕事で小田原の伝統的な鋳物の技術を今に伝える「柏木美術鋳物研究所」を取材したことがあります。そのときは、高齢者の特集をしており、高齢だけどがんばっている人たちのお話を聞いていたのです。
お会いしたのは、柏木鋳物の伝統を守る四兄弟のうち、五郎さんでした。
五郎さんのお兄さんたちは、もうすでに他界していましたが、五郎さんは元気にいろいろな話をしてくれました。
柏木美術鋳物研究所がその昔、シンバルで世界第一のシェアを誇っており、それを作っていた人が引退はしているが、後進の指導をしながら元気に過ごされているという話を聞き、取材を申し込みました。
それが柏木五郎さんだったのです。

黒澤明監督の作品「黒ひげ」で風鈴が一斉に鳴り響く印象的なシーンがありますが、その風鈴が柏木鋳物のものでした。妥協を許さない黒澤明監督が選んだものが、小田原の柏木鋳物の風鈴でした。
柏木鋳物の「鳴り物」は、砂張(さはり)という特殊な合金を使っています。銅や錫の合金で、とても響きが良いのです。しかし、硬く、それだけに加工も難しい上に、もろいという欠点を持っています。柏木鋳物は、それを克服する技術を持っています。

柏木鋳物は、鳴り物以外でも有名でした。いや、むしろその鋳物の造形美で有名だったといったほうがいいかもしれません。蟹を忠実に再現した鋳物などは、戦前の三越が直接取引を申し込んできて、長く鋳物芸術として取り扱ってきていました。
その鋳物の型を作るのは、まさに芸術的な作業で手先が器用ではないとできません。五郎さんのお兄さんたちは、みなそれが得意だったのです。とても細かい作業で、型を作っていたのです。

ところが、五郎さんは不器用でした。

「お前は、不器用だから鋳物は無理だ。ほかの道を探せ」とお兄さんたちに言われたそうです。
でも、五郎さんは自分にしかできないことがあるはずだと、鋳物の常識では考えられないようなあらゆることを試したそうです。日々、研究に研究を重ねたそうです。
そして、ある日「日本管楽器(現在はヤマハと合併)」から海軍の軍楽隊が使うためのシンバルの作成依頼が入ったそうです。
当時の日本ではシンバルなど誰も作ったことがありません。
もちろん、お兄さんたちは相手にしませんでした。でも、それに、五郎さんは飛びつきました。
「自分は手先が不器用だったから、兄たちのような細かい造型の仕事はできなかった。でも、シンバルなら誰も作ったことがないという。それなら、俺が作ろうと思った」

シンバルを作るのに、何度も何度も失敗が続きました。「ろくろ」を使ってシンバルを作っていくのだそうですが、五郎さんの指はシンバルを触るだけでその厚さや重さを正確に把握できるほど、たくさんのシンバルを作りました。そして、日頃の研究も役に立ち、やっと納得のいくものを作ることが出来ました。その代償にひじは伸びなくなり、指はぐにゃりと曲がってしまいました。しかし、その指から作られたシンバルは、世界に認められ世界一のシェアを誇るまでに成長したのです。

「自分は、不器用だからね」
何度も五郎さんは言っていました。でも、不器用だからこそ五郎さんは世界一になれたのです。
不器用なのに、技術で世界一になれたのです。
その話を聞いていて、私は痛く感動しました。
人間、できないことは無いんじゃないか。そう思いました。

その取材のときに、風鈴や鈴など、いろいろな鳴り物の音を聞いたのですが、一番印象的だったのは「仏鈴」でした。いわゆる「リン」です。
小さいのに、お寺の鐘のようにいつまでも鳴り響くその音。小さいのに、重厚で透明な音。私は、いつか自分の家でリンが必要になったときは、絶対に柏木鋳物のものを使おうと思いました。

五郎さんは、私が取材した2年くらい後、亡くなりました。
柏木鋳物は当時、28才だった孫の世代に当たる照之さんが継ぐために、その昔の五郎さんのように日々研究をしていました。
若い照之さんが、お母さんと鈴の型に「湯(合金を溶かしたもの」」を注いでる姿をはっきり覚えています。それを見ながら「照之は、研究熱心だから将来が楽しみだ」と言っていた五郎さんを思い出します。


今日、その柏木鋳物を久しぶりに訪ねました。
そして、先日亡くなったオヤジのためにあの「リン」を、手に入れました。
照之さんといっしょに選びました。彼が、あの記事のことを覚えていてくれたのがとてもうれしかったです。

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オヤジの遺影の前に、置いてきました。
ちょっと、強く叩いてみました。
驚くほど大きな、そして澄んだ重厚な音が部屋中に鳴り響きました。

「いい音じゃねぇか、じゅんぼう」

そう、言ってくれた気がしました。
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by 40kids_iiyama | 2010-11-29 19:49 | 文化・芸術 | Comments(0)

鋳物風鈴ストラップ

昨日、長々と書いた「柏木美術鋳物研究所」ですが、最近の取り組みでおもしろいものがあるので、ご紹介させていただきます。

映画「赤ひげ」でその名を轟かした柏木鋳物の風鈴が、なんと携帯ストラップになったのです。
小さいとはいえ、ちゃんと「砂張」で作ったもので、風鈴の短冊の部分には寄木が使われています。小田原の地場産品で作っているっていう雰囲気がぷんぷんします。

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<これです>

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<近くで見ると、美しいのがよくわかります。>

さすがに歴史ある柏木鋳物の作品です。ちいさくても、本物の音がします。
ちょっとこれは驚きです。携帯のストラップにとどまらない完成度だと思います。すばらしい響きです。
響きがすばらしくて、携帯につけているとはっきりってうるさいです(^^;)
だから、話すときには風鈴がならないようにしないとどうにもなりません。
持って歩くにしても、りーんりーんとすごくいい音がしますから、注目度抜群だと思います。

この涼しげな音を聞いていると、本当に昔の人は風鈴の音で涼をとっていたいたんだろうなぁって気になります。
それほど、いい音です。
きっとこれを聞いたら、ストラップじゃない本来の柏木鋳物が作った風鈴の音も聞いてみたくなることでしょう。

この風鈴携帯ストラップにしても、柏木鋳物の風鈴にしても、小田原駅ビルのラスカにある「WAZA屋」にあるんじゃないかと思います。
携帯ストラップは1,365円。風鈴は5,000円前後だったと思います。
ストラップは、ネットショップ「ストラップや」で購入できます。
また柏木美術鋳物研究所のホームページもありました。
ネット販売もしているようですよ。
ご興味のある人は、ちょっとのぞいてみてください。
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by 40kids_iiyama | 2009-07-31 00:00 | 文化・芸術 | Comments(0)

柏木美術鋳物研究所

小田原の古くからの文化に「鋳物」があります。
あの黒澤明監督の「赤ひげ」で、風鈴がいっせいに鳴り出すという非常に印象的なシーンがあるのですが、実はあれ、小田原の風鈴の音に惚れ込んだ黒沢監督がすべて同じ鋳物工場に作らせたものなんです。

その昔、小田原にはたくさんの鋳物工場がありました。代表的な地場産業のひとつだったんですね。いつのころからか少なくなり、いまでは中町にある「柏木美術鋳物研究所」のみになってしまいました。
前述の赤ひげの風鈴はこの「柏木美術鋳物研究所」のものです。
その音の秘密は「砂張(さはり)」と呼ばれている、銅や錫の主成分に亜鉛や銀、鉛を少し混ぜた独特の合金にあります。この「砂張」が、とても深みのあるとてもいい音を出しているのです。柏木鋳物の仏鈴なんて、抜群の音を出しますよ。

この柏木鋳物は兄弟4人でずっとやっていたものだそうです。みなさんすばらしい技術と才能を持っていた方たちです。鋳物のもととなる「型」は、一級品の彫刻と思っていただいて結構ですが、昔から三越などに納入している蟹のペーパーウェイトなどは当時の型を利用しているのですが、その精巧さと芸術性の高さは、素人目にもはっきりわかります。

特に私が驚いたのは、そうしたいわゆる芸術作品としての鋳物ではなく、シンバルを作っていたということです。その昔、ヤマハの前身だった会社に海軍のシンバルの制作を頼まれ、もちろん国内には作っている会社はありませんから、外国のものを見よう見まねで作り続け、戦後まもなくのころは、世界のシンバルのシェアのほとんどを柏木鋳物がしめていたという話です。

そのシンバルを作っていたのは、柏木兄弟の末っ子の五郎さんというかたでした。私は、五郎さんを取材してゆっくりお話を伺ったことがあるのですが、とても感動したのを覚えています。
五郎さんは、ご兄弟の中でも一番不器用だったとのこと。兄たちからは素質がないから、ほかの仕事を探せといわれていたそうです。五郎さんはくやしくて、なにか自分にもできることがないかと思っていたときに、このシンバルの話がきたそうです。
兄たちのような芸術的な工芸はできないが、このシンバルなら自分もできるのではないかと、日夜シンバルの研究に没頭し、ついには世界一のシンバルを作るまでになったのです。

兄たちと比べると不器用な五郎さんだからこそ、その世界で一番になれるものを見つけたのですね。
欠点が、世界一への道を開いたんです。勇気の出る話じゃありませんか。
五郎さんの指の感覚は研ぎすまされ、さわるだけでシンバルの厚さを正確にはかれるほどだったそうです。シンバルを作り続け、その感触を確かめ続けた五郎さんも指は、その反動で曲がってしまっていました。
しかし、その曲がった指を、五郎さんは誇らしげに私に見せてくれました。

その柏木美術鋳物研究所も、数年前に五郎さんたちから見れば孫の世代の照之さんが後を継いでいます。まだ30才そこそこの若さだったと思います。
工場では、昔ながらの工法で鋳物を作り続けていますが、若い世代が継いだということで、また新しい動きもあるようです。
それについては、また明日ご紹介します。
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by 40kids_iiyama | 2009-07-30 00:00 | 文化・芸術 | Comments(0)