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石巻で、本当の盆踊りを見た

盆踊りとは、もともと精霊を迎える、死者を供養するための行事なんですね。


本当の意味の盆踊りを私は見てきました。




8月17日午前零時。


小田原は鴨宮の古川社長宅を仲間とともに出発。ドライバーは古川社長、同乗したのは輪音の竹原さん、のんちゃん、音響マン志摩さん、松本バンドの仲間の木辺さん、私の6人。東名の海老名PAで株式会社つくろいの高村さん、遠藤さん、中里さん、リョウタくん、府川さん、鈴木さん、りこちゃん、そしてソプラノ歌手橋本京子さんとお仲間のお二人と合流。








一路、石巻市の追波川河川仮設団地へ向かいました。








夏祭りと盆踊りをやりにいったのです。


現地のお祭りのお手伝いではなく、ステージ、櫓、テント、音響施設、食べ物など、お祭りの施設一式を、小田原から持って行ったのです。


お祭りを丸ごと持って行ったのです。


私もいろいろイベントをやってきましたが、イベント丸ごと出張したのは生まれて初めてです。








朝8時前に現地に到着。どこにでも現れるミュージシャン、川崎さんが現地で合流しました。




ダイヤ街からお借りしたステージを作り、つくろいさんが手配した櫓を建て、テントを設営。小田原からもってきた干物を焼き、蒲鉾を用意し、曽我の梅干しをご飯に乗せます。








用意をしていると、このイベントの主催者「石巻市復興を考える市民の会」の藤田さんが現れました。挨拶をして、しばし雑談。この方も、自分の家族を亡くされているのにも関わらず、3年前の3月12日から復興活動を一人から始められたという人です。少し話しただけで、その並外れた熱意がすぐに伝わります。使命感を超えた何かがあります。








ふと気づくとつくろいの中里さんと輪音の竹原さんが、単管パイプで櫓をどんどん組み立てていきます。


ステージは、使い慣れている古川さん、志摩さん、私と地元の大学生たちがあっという間に組み立てます。


その手際の良さに、たぶん、仮設住宅の人たちはお祭りのプロ集団が来たと思ったことでしょう。








準備中「思ったよりデカイよ!大丈夫かなぁ」と関係者らしきおじさんが携帯で言っています。どうも、こんな大ごとになるとは思っていなかった様子。高村さんが企画し、古川さんが手を貸したイベントですよ。半端なわけがない。そのおじさんの驚きっぷりに、ちょっとおかしくなりました。








仮設住宅に住んでいるおばあさんは、軒先でニコニコしながら始まるのを待っています。そのおばあさんと楽しげに話している古川社長。


「このおばあちゃん93歳だってよぉ!元気だよなぁ。小田原の海岸を歩いたことあるんだってよ!家の前で大きな音出しちゃってゴメンねって言ったら、どんどん出しちゃってって言ってくれたぞ!」と大声で私たちに教えてくれます。どこへ行くっても花のある、存在感たっぷりの古川さん。このイベントの影の立役者です。古川さんがいなかったら、このイベントはできませんでした。








干物の焼けるいい匂いとともに、人が集まり始めます。お祭りの開始は11時。まずはカラオケ大会。


ダイヤ街のステージで、高村さんと古川さんの司会と志摩さんの音響。小田原では見慣れた光景ですが、ここは石巻の仮設住宅。とても不思議な感覚。








カラオケは思った以上に大盛況で、どんどんリクエストが入ります。


私はみんなといっしょに干物を焼きます。暑い。炭火も熱いし、陽気はピーカン。めちゃくちゃ暑い。熱中症にならないように、水分をたくさん取りながらの作業。


干物を焼いて、それにかまぼこと大学生が作ってくれていた大根おろしを乗せる。


その一連の作業は、1時間もしないうちに「プロの仕事」のようにこなれてきました。








2時間近くもカラオケをやったあとは、次々に全国から集まったボランティアのみなさんが、さまざまな出し物をステージで披露します。太鼓、弾き語り、チアダンス、手品、バンド演奏、よさこい、、、、次から次へと会場を盛り上げます。




炎天下の中、屋根がない客席に持参したテントを建てました。しかし、どんどん集まる人と、灼熱の太陽にテントが足らなくなり、現地のホームセンターでテントを購入して追加のテントを建てるつくろいの人たち。すごい機動力!


本当にたくさんの人が集まってきた。この暑い中、集まってきた。


夢中で写真をとっていて気づきました。








みんな、笑ってる。


みんな、笑ってるよ。






ステージの出番が我々小田原チームに回ってきました。




さっきまで、テントの中でご飯を配っていた橋本京子さんが、控室になっていた集会所の中、いつのまにかステキなドレスに着替えています。そこで出番を待つ橋本さんをじっと見つめる地元の一人の少女に「こんな歌はどうかな」と歌いかけています。「その歌知ってるよ」と無邪気に喜ぶ少女。橋本さんは、何曲も何曲も歌いかけていました。とても、いい時間でした。あの子、きっと一生忘れないだろうな。








橋本さんは、最初の一声で会場の雰囲気をがらりと変えました。さすがの歌声。うっとりします。じっと聞き入る人、小さく手拍子する人、いっしょに歌っている人、お祭り会場がコンサート会場に変わりました。








次は私の出番。約束の3曲を歌い終わり、ステージを去ろうとしたら高村さんが「飯山さん、良かったでしょ~?!」と、客席に語りかけてくれました。一人のおじさんが「サイコー!」って叫んでくれました。あんな風に言われたのは初めてなので、お世辞でもうれしかったです。








次に登場は、輪音さん。カバー曲もオリジナル曲も、橋本さんに負けないほど聴衆を惹きつけています。静かに歌っているのに、声の圧力がすごい。きっと、音響の志摩さんはボリュームを絞ったに違いない。気持ちが、声の重さになっている感じがしました。言葉が、メロディに乗せて体に染みいってくる感じです。








最後は「ぱんちょマン」。歌わないはずが、ぜひ歌ってくれといわれたので1曲だけと言いながら、ステージに登っていきました。藤田さんにでも言われたのかな。


「子供たちへ」という、はっとさんの曲を、完全に自分の歌にして奏でていました。


あの場にいた子供たちだけでなく、親御さんの心にも響いたと思います。歌い終わったところで「アンコール」という声が。橋本京子さんの声でした。








日も暮れてきて、櫓をみんなで広場の中央に移動しました。櫓から提灯をはりめぐらすのも、会場にいた若者たちが手伝ってくれます。そして府川さんがちょうちんに電気を通します。電気を通すっていっても、コンセントから簡単に取るっていうんではなくて、配線工事ですよ。さすがプロ。手際が良すぎる。








薄暮れ時の広場に、ポっと提灯の明かりがともりました。「あ、ついた」と会場のそここから声がします。


たくさんの小田原提灯に灯がともりました。








ここからは盆踊り大会です。盆踊り用のCDが用意されていましたが、さっきステージで歌っていた民謡歌手と三味線と和太鼓が「相馬盆唄」を奏でます。


生演奏とは、ずいぶんと贅沢な盆踊りです。踊りの輪がぱーっと広がりました。この曲は、みんなが踊れるんだ。小田原小唄、小田原の人はみんな踊れるかな。




この相馬盆歌は1曲で20分以上あるんです。演奏も踊りも、まったく疲れを感じさせず、止まりませんでした。






みんな、夢中になって、どういう思いで踊っているんだろう。










「盆踊りっていうのはね、死んだ人を供養するためのものなんだよ。でもね、ここでは3年も盆踊りができてないんだよ。こんなにたくさんの人が亡くなっている、この場所で、盆踊りができないんだよ。おかしいよ。だから、みなさんが盆踊りをやってくれるって聞いて、本当にうれしいんだ」と、朝、到着早々私たちに話してくれた藤田さんの言葉が頭に浮かびました。








盆踊りは、死んだ人を供養するためのものだったんだ。












盆踊りを見ながら、私は泣いていました。


今日は、よく泣く日だ。



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会場の準備が一段落した、昼前。私たちは仮設住宅近くの大川小学校を見に行ってきました。高村さんが「一度見た方が良い」と私たちを送り出してくれました。





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たくさんの幼い命が流された場所でした。


たくさんの、たくさんの命が、流されていたんです。









この光景を目の当たりにしたら、涙の出ない人はいないと思います。





元気な子供たちの声が響いていたであろう学舎は無残な姿をさらけ出していました。


校庭にあるコンクリートの壁の穴からは、無邪気な子供たちが顔をのぞかせていたんでしょう。


鉄骨がむき出しになってしまったその壁に描かれている銀河鉄道の絵の脇に「世界が全体に幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない・・・」と書かれていました。本当に、そうだよね。








私は、動けなくなりそうでした。涙が止まらなくて、恥ずかしくて、みんなから離れました。






そう、この感覚、前にも一度ありました。




初めて広島の平和記念資料館を見たときと同じ気持ちだったんです。


展示されていた、焼けてただれた三輪車の前で、とうとう私は涙で動けなくなっていました。


「はだしのゲン」は、全部本当だったんだ。マンガの中の出来事じゃなかったんだ。


全部、本当だったんだ。


頭ではわかっていたつもりが、頭でしかわかってなかったんだってことに気づきました。


あの時と同じだ。







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自分の家族が、目の前で流された人もいる。


家族で、自分しか生き残らなかった人もいる。石巻を復興させようと、がむしゃらになっている、あの元気な藤田さんもそうだったんです。

いま、目の前で盆踊りを踊っている人たちは、私には想像もできないほど、とても悲しい体験をした人ばかりなんだ。








一生懸命、楽しそうに踊ってる。


笑いながら、踊ってる。


みんな、笑ってる。








笑顔って、本当に大切だと、こんなに思ったことはありません。










世の中には、被災地復興支援と称して悪いことをしている人もいるらしいです。


個人の感覚で被災地復興支援活動をうさんくさいと思っている人もいるらしいです。


それどころか、東北で起きた、いや、起き続けている悲劇を過去のものと思っている人が、たくさんいるらしいです。




でも、同じ日本で起きている悲劇と恐怖を、ちゃんと知って欲しいと切に思います。


できるならば、現地を訪ねた方が良いと思います。何が起きているか、はっきりわかります。








福島を見て、石巻を見て、自分の中で確実に何かが変わりました。


まずは、くだらないことで悩むのはやめにしようと思いました。


生きているんだから、笑顔でいたいと思いながら、帰りの車を運転していました。








8月18日、午前4時。帰宅しました。










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長い日記で失礼しました。


最後に、こんな体験をさせてくれた「ぱんちょマン」に心から感謝します。


ありがとうございました。そして、これからも、よろしく。

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by 40kids_iiyama | 2013-08-21 02:37 | 日記・コラム・つぶやき | Comments(0)